2011年1月10日月曜日

自分とか大人とかガールズトークとか

ガールズトークを10時間。よく話が続くもんだなぁと思ったり、よくそんなに話を聞いてられたなぁといつも思う。人の話を聞くことはどうやら得意のようで、特に普通の女性の話ならどれだけ長くても許容できるらしい。ガールズトークって愚痴とか実のない話が多いんだけどね。でもよっぽど非常識な話でなければ同意ができるし、他人の価値観を知ることが出来るのがいい。それを延々と聞いてるだけでなぜか感謝されるので女の子って不思議だと思う。Ustとかで延々とガールズトークを垂れ流すのでは発散されないのだろうね。不思議だ。

大学生になった辺りから、『大人しい人』という見られ方から『大人』という見られ方に変わったように思う。たぶん、外見が成人に近づいて、子供の外見にしては落ち着いているという評価から、外見が伴うようになったせい。そういう意味では少しずつ変わっているのだろうと思う。近年では何も言わずにいると30歳ぐらいだと思われることもあり、一向に実年齢が追いつかないのが現状です。たぶん外面だけは年寄りになるまで追いつかなそうな気がする。

最近ようやく気付いたけど、知らない人と話すときの自分の年齢的な立ち位置を高めにして接している。自分より若干年齢高めな人でも見た目さえぶっちぎられていなければ、同い年ぐらいのつもりで話を合わせている気がする。別に相手のことをなめてかかっているとかそういうわけではない。無意識で自分を年上に置いている。女の子と話すときも一つ上ぐらいの人なら余裕で年下に見ていると思う。人類皆妹状態である。

自分の中の『大人』ってどういう存在なのか。親を考えてみても大人であるとは思うけど『大人』なのかというとどうだろう。逆に『子供』について考えてみると、下の階に住んでいる大学生なんかは『子供』だなぁと思う。朝っぱらから怒鳴り声をあげて女を泣かせてるなんてバカだなぁと思う。そのことから、浅はかな行いなどを見ると『子供』だと思う。そこからすると『大人』は賢い人のことなのか?あまり釈然としない気もする。

それから『大人しい』って言葉にもあるように、「怒らない」とか「感情の起伏が小さい」っていうことも『大人』だと言われる。よく「あなたは怒ることがあるのか」と聞かれるけど、あるに決まってる。「怒りを表に出さない」というだけ。話をまともに聞いてなかったり、怒っても無駄だと思うこともあるし、怒ると後々面倒だから何も言わないってことだってたくさんある。感情の起伏だって普通の人並にはあると思う。何もないのにテンションの振れ幅が異常だったら病院が必要だろう。

『大人』に似たものに『優しい人』っていうのがある。でも「優しさ」ってなんだろう。「親切」とは違うものだと思うし、25年生きてきたのに意外と分からないことは多い。一応、今一番近い答えは「大きな器の持ち主」だと思うけど果たして。

他人を鏡にして自分を見るようにしているけど、人によって鏡の歪みがあったりして面白い。人によって共通して言われることもあれば、偏った見方をされている部分があったり、すごく美化されて良く見られている部分を見つけたりとか。それぞれの人に対して見せている自分の姿も若干違うのだろうなぁ。自分探しはしないよ。きりがないから。

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